皆様の僕(しもべ)。

公共のざれごと

政策綱領(マニフェスト)っていうもの

あの~…。皆さん、「まち・ひと・しごと創生」って知ってます?あ、「地方創生」の方がわかるかな…。

ああ、聞いたことはあるって感じですか。そうですか。じゃ、「デジタル田園都市国家構想」ってのはどうですか?

あ、聞いたことない…。そうですか。

というわけで、上記は国レベルで推し進めている政策綱領、イマドキに横文字でいえば「マニフェスト」というものの名称となります。

これまで国が地方へ目を向けた政策としては、主なもので池田内閣の「所得倍増計画」、田中内閣の「日本列島改造論」、大平内閣の「田園都市構想」、竹下内閣の「ふるさと創生」といったものがありました。

こういったマニフェストの実施には、もちろん功罪(よかったところと悪かったところ)がありまして、有名どころの「所得倍増計画」なんかは高度経済成長に大きく寄与し、計画以上の結果を打ち出しました。また、「日本列島改造論」でいえば、工業系の地方分散と情報通信・流通ネットワークが一気に全国波及するきっかけとなったと評価されています。この2つのマニフェストは、当時としては非常に大きな国土全体へのテコ入れであって、実質的・物質的にも今の我が国のグラウンドデザインを成す基礎となったんじゃないかと評価する方もいらっしゃいます。

また、「ふるさと創生」なんかは功よりも罪という部分によく焦点があてられるマニフェストです。内容としては、各市町村に地域振興費用として自由に使えるおカネを1億円ずつ配るというもので、本当に自由に使ってよかったので、山形県のとある村はこの資金で「村営キャバレー」を作った、と「マジで!?」びっくりするようなお話もありました。よく、市町村の無駄遣いの典型的な例として語られることも多いです。ちなみに我々のまちはこれで温泉を掘りました。

この延長線上で、一番最初に書きました「地方創生」とか「デジタル田園都市国家構想」ってのがあるわけです。厳密にいえば、体系的には「デジタル田園都市国家構想」は「地方創生」という大きな枠に含まれる形になるんですけどね。

そして、「地方創生」というのは、今は亡き安倍晋三元総理が提唱したものになります。

実質的なスタートは平成27年だったかな。人口減少・少子高齢化に歯止めをかけることと合わせ、人口の東京一極集中を是正し、地方に活力を取り戻して国力の底上げを図ろう、というのが趣旨となっています。

で、当時は石破茂議員が地方創生大臣だったんですよね。その石破さんの数々の危機意識に基づく発言と、そのちょっと前に話題となった、増田寛也さんが座長を務める「日本創成会議」による『消滅可能性都市』なんて話もあって、当時は本当に危機感を持って本気でこの「地方創生」に取り組みました。同じ行政職員であれば、酒でも飲めそうです。なんか過去形みたいに書いちゃった。現在も続いてますけどね。でも、それだけ当時は熱量があった、ということです。

と、いうのも、「地方創生」以前の取組は、国が豊かであり、失敗しても痛手こそあれ、立ち直れないほどのダメージはなかった時代のものでした。しかし現在は、時代的背景が「少子高齢化」「人口減少」「経済縮小」という大変厳しいものであるため、これを失敗したら国がつぶれるという可能性を大いにはらんでいるということなんです。

この「地方創生」に伴い、国では地方の積極的な取り組みに対して数々の交付金や優秀な人材を派遣する制度などが造成されました。我々のまちも全庁あげてこの制度をフル活用し、まちの勢いを取り戻そうと躍起になりました。当時の国なんかに言わせると、「やる気のある地方は本気で応援する。やる気のないところは、そこまでだと思ってもらって構わない」みたいな話まで出ましたからね。

で、あなたのまちの結果はどうなったの?と聞かれると、人口減少は止まらないものの、ある程度以前よりも活気が戻ったかなァ、移住者は増えましたし、起業する若者もかなり出てきましたし…。国勢調査の社会増減(転入者-転出者)で見れば、うちのまちはプラスにまで回復しました。ただ、私みたいな行政職員でない住民としてみれば、「さほど変わっていない」というのが現実的な評価になるのかなと思っています。だってほとんどの住民は地域に張り付いてまちの様子を見ているわけでなく、昼間は他地域で働いていますし。自分の足元がどう変わったかとか、よーく見ないとわからないですよね。でも、それがわかるくらいのダイナミクスみたいなものがないと、我々の仕事は成功だといわれないのです。もっともっと頑張りたいと思います。

それで、今はというと、冒頭の「デジタル田園都市国家構想」ですよ。趣旨は『地方からデジタルの実装を進め、新たな変革の波を起こし、地方と都市の差を縮めていくことで、世界とつながる「デジタル田園都市国家構想」の実現に向け、構想の具体化を図るとともに、デジタル実装を通じた地方活性化を推進する』ですって。ICT分野を推して参る!という、岸田さんの肝いり政策です。

実は、前首相の菅さんの時にも、ある分野がこのように示されたんですが、ご存じですかね。「2050年カーボンニュートラル宣言」っていうんですけど。グリーン社会の実現に努めます!環境施策に力点を置きます!ってやつです。

…う~ん、地方の現場とすると、こうして首相が変わるたびに「環境」だとか「ICT」だとか、自分自身のカラーをこまごまと打ち出すのって、ホントにしらけちゃうんですよね。「地方創生」って大枠は変わっていないんでしょうけど、例えば先ほど述べた国からの交付金にエントリーする際には、今であれば「情報系・ICT、いわゆるDX(デジタルトランスフォーメーション)」の考え方がちりばめられてないと、採択されないんです。開始された当初には、「どんなことでもいいから、地方が努力をして知恵を絞った取り組みを見せてくれ」って感じだったのに。こうなると、平成27年、地方創生開始時に「うちのまちはこれでいこう!」って決めたものが、拡大展開できなくなる恐れが出てくるってことなんです。もちろん、取り組みが自走できることが前提なので、事業継続がすべて交付金だよりではないのですが、拡大して展開するときの財源の確保はしておきたいですもんね。

「俺が首相だから、これが俺の色だ!」って言いたいのはわかります。地方なんかは、首長が変わるたびにそれを経験していますから。でも、地方創生開始時に国として語っていた、「これを失敗したら国がつぶれるという可能性を大いにはらんでいる」という危機感はどこへ行ったんでしょうか。大々的に表にださなくとも、政策・施策体系的に十分に折り合うことは十分にできるはずなんですが。我々地方の現場は、混迷しています。だから先ほど過去形で書いてしまったんですよね。もう、終わった、みたいな。国家という大きなものを動かそうとするならば、ドシッと腰を据えた政策綱領を期待したいものです。

ホントになんだかなァ、というお話しでした。

では。

地方公務員はサラリーマンなのか?

地方の自治体職員というのは、ほぼその行政区域内に居住することが多いです。

ただ、以前のエントリーで、私のまちも中途採用職員が増えてきていると書きました。この中途採用職員をはじめとして、地域外出身者も少しずつ増え、最近ではまちなかに住まず、他市町村から通う職員もチラホラと目立ち始めました。

一方、東京やその周辺の公務員は、従前から地域外に居住する職員が通うということは普通だったようです。これは、研修などの機会で知り合った他自治体の職員さんから聞くのですが、東京圏では生まれも育ちもまったく関係無い自治体に就職する職員はまったく少数ではないと。こうした流れがだんだんと地方にも波及しつつあり、昨今の主流からすると、「公務員」という職種になれるのであれば、勤務先自治体にはあんまりこだわりはない、ということらしいんですね。まあ、考えとして十分理解できます。

ただ、我々のように、地方の基礎的自治体(市町村)の職員の業務はというと、窓口による証明書発行等のサービスや防災、福祉、教育などといった基礎的な行政サービスなどをはじめ、このまちをどうしていくのかの政策立案と、幅広く従事することになるのですが、こういった業務、中でも政策立案なんかの仕事に就くときには、そのまち、地域への帰属意識があるかないかによっては結構仕事内容に差が出てくるんじゃないのかなあ、と思うんです。

平成の大合併のとき、ある村が吸収合併されるかどうかという際、その村の村長が「村人としてのアイデンティティを村民全員に残したい」と、非常に頑張っておられたという話を聞いたことがあります。結局、その村は吸収合併されてしまうんですが、後で事情に詳しい方から聞くと、合併までの間、村職員には村長の思いがまったく伝わらず、役場内には「シラー」っとした空気が流れていたと聞きます。

なんと実は、村職員のほぼ全数に近い方が吸収する側のまちから通う職員だったそうなんですね。私も「いくらなんでも、それはうそだろ?」と確認したところ、その村の人々は昔特産品を作ってとなりまちで販売していたんですが、ある程度財をなした後に出荷しやすいようにと、となりまちの外れに畑を買って特産品を作っていた方が多くいたと。村内で誰かがそういったことを始めると、「おお、便利じゃねえか」と、そういった流れになりますよね。そして、時代は変わってその畑に息子が家を建て…という流れだったらしいんですよ。

この話を聞いたとき、本当に「ほぇ~」っとなったのを覚えています。

きっと村長さんは悔しかったでしょうが、生活圏が2つの地域にまたがる職員たちにとっては、どうせ合併して一緒のまちになるんだし、何も変わらないと思っていたんですよね。もちろん結果的に市町村合併すること=即、誰かの損害につながる、という訳ではないので、当然悪い話というわけではないのですが、なんかこう、心がキュッとするような感じを当時私は受けました。

さて、これってどういうことかと言いますと、地方の自治体において、組織への帰属意識はあるものの、地域への帰属意識の薄い公務員、いわゆる「地方公務員のサラリーマン化」の傾向が生まれつつあるんじゃないかと思っているんです。これって実は由々しき事態です。我々のような地方の小さなまちは、地域への帰属意識をたよりに「まちおこし」とかやっているわけですから…。地方公務員の仕事をするにあたって、そこに地域性とか、風土とかのエッセンスは介在せずに、処理だけが済めばいいということは、ほぼありません。

…なんかサラリーマンが悪いみたいな語弊を生みそうですが、単なる例示としてみてくださいね。

以前のエントリーで、地元出身者の方がモチベーションが高いことがあるというお話しを書きました。それがこれ、なんですよね。自分が生まれ育ったまちなんだから、綺麗な花の一つでも咲かせてやりたい、という意気込みが彼らにはある、ということなのでしょう。

そうなんです。おらがまちをどうにかしようと思って、頑張れば頑張っただけ、休みの日に家族を連れて遊びに行けるような楽しい場所やイベントができる。退職した後も、語り合って酒を一緒に飲める仲間を増やすことができる。セレンディピティとも言える非日常がまちなかに増えていくことになるんだ、ということなんだと思うんですよね。

いずれ退職なんかしたら、我々なんてホントになんでもないただのおじいちゃんですから。その時に楽しめるまちじゃなかったら…。一体なにを楽しみに生きていけばいいんだろう。だから、現職のうちにおらがまちにいろんな色の花の咲く種をいーっぱい撒いておきたいんですよね。

ただ、ただですよ。だからと言って「地域内に住め!」とか、「地域外から通うことが悪いんだ」とかって責めている話ではないんですよ。地域への帰属意識をどう持たせるのか、の話なんです。前述の村の話でもそうですけど、これって結構今後の大きな課題なんじゃないのかしら、と思っています。

実はこんなエントリーを書くのには理由がありまして、つい最近業務上で職員同士の衝突がありまして。かなりぼやかして書きますが、原因は自治体がずっと関わってきた、とある業務に関連し、住民同士の小競り合いが発生したのです。もちろん住民の方はずっと関わっていた自治体に問題解決のため相談に来るわけです。そこで担当職員の「それは『民-民』の話なんで、聞きたくないです。そちらで解決をお願いします。うちは介入できない関係の無い話ですから。」っていう一言ですよ。言っていることは間違いではないですよ。中立な立場の公務員ですから。

で、それを聞いた前担当が「今まで我々職員が関わってきた仕事に対して、地域に住む住民だったら、そういわれてどう思うかわからんのか?相談に乗るくらいのこと仕事としてやれよ!」っていうことで、衝突です。その後も「公務員として当然の対応をしただけだよ!」「そういうもんじゃねぇだろ、バカ!」で大喧嘩と。引き継ぎでは「思い」は引き継げないとよく言いますが、そういうのを目の当たりにしちゃうと、横のつながりとか、コミュニケーションとか、それこそ「思い」とかって本当に大事なんだよなあ、って痛感しちゃうんですよね。

昔のように、このまちが好きだから、とか、自分の生まれ育ったまちで、とか、そういうことにプライオリティを置く時代じゃあなくなっていくんだろうなあ…、というのは十分理解していますよ。でもそれじゃあ地方なんかは本当に今後先細りしていくような気もするなあ…、とか、感傷のようなものに浸ってしまうんですよ。

う~ん、なんだか書いていてムズムズする話になってしまいました…。まだ言いたいことはあるにはあるんですが、長くなってしまいますので、またの機会にします。本日はこの辺で。

では。

コモンセンスというものの重要性について(その2)

では、続きです。

今回の教団と議員の癒着って、結局双方にどんなメリットがあったのか、という部分についてです。

報道では、教団側には大物政治家とのつながりによる、「権威」の報酬、議員側には信者群による「票田」の報酬があったとされています。要するに、議員側とすれば大きなメリットとして、近づくことで一度にたくさんの票が稼げるから、という理由があったようなんですよね。

それで、です。

先日の参院選投票率をみると、52.05%、直近の衆院選でも投票率55.93%という結果なんだそうです。投票権を持つ有権者の約半分しか投票してないんですよね。

で、今般、もしも、ですよ。「あの議員どもは非常にけしからん!」と憤っている方のうち、投票に行っていない方が徒党を組んで別の候補や政党にきちんと投票したら、結果をひっくり返すことができるのかも知れないんだけどなあ、とか思うんですよ。

議員先生たちは、票がほしいからあのような行動に出るのですよ。それもこれも、政治離れが進むことで政策論議に興味を持つ方も少なくなり、結果、い・く・ら一生懸命政策を訴えても、票田を形成することができない今の状況が、今般の問題を生み出す一つの要因になっているんではないかなあ…、と思っているんですよ。

よくテレビでも「誰を選んでも一緒だから(投票しない、選ばない)。」とか言ってる方がいますけど、その結果なんです。事前にちょいと行動することだけで結果はまったくの一緒ではなかったかも知れません。

例として選挙のことを取り上げましたが、何も選挙だけに限ったことではないと思います。何事も、結果だけを外から見た評論家になるのでなく、何事へも「積極的に関わっていくこと」の重要性にみんなが気づくべきだと考えます。

地方自治(住民自治)もそうなんです。行政が何かを行うときには、ほぼ一般公募という形で行政委員とか、プロジェクトメンバーとかを募ります。今このブログの閲覧数は非常に少ないですが、読んだ方は是非そういった機会を一度でいいから活用してみてください。自分が関わった結果、もし成果が上がらなかったとしても、それはそれで納得できるはずですし、なぜ成果が上がらなかったのかもよーく理解できるようになるはずです。また一方で、逆に成果が上がれば自分自身がその一部を担ったという充実感が得られるはずです。

なんだか訴求感満載のエントリーになってしまい、暑苦しく感じた方もいらっしゃるかも知れません。なんだか申し訳ございませんでした。しかしながら、私も職場において、同僚たちと「無関心」であることの「無責任さ」についてことあるごとに話し合ったりしています。地方自治(住民自治)って、こうした若干の「関心」と若干の「責任」が生み出す、それこそ若干の「コモンセンス」があれば、十分事足りるものなのだと思うのです。自分の信じるコモンセンスを備えれば、自然と情報を疑う(精査)することもできるでしょうし、情報に振り回されることは無くなるものと思います。何よりも、受け入れがたい結果をも事前に変えてしまう可能性を十分に含んでいるんだと思っています。

是非皆さんにも、関心を持って自分の住むまちの「足元の情報」の精査と「活用」を試みていただければ、私も一公務員として大変嬉しく思います。

今回もなんだか乱文気味になりました。すみません。もっともっと、精進したいと思いますので、お許しください。

では。

コモンセンスというものの重要性について(その1)

ちょっと時事ネタといいますか、気になったもので。今回はちょっと長くなりそうなので、エントリーを二つにわけてアップしたいと思います。

また、まず最初に申し上げておきたいのですが、一番最初のエントリーにも書いた通り、私はただの人口数万人のまちで働く地方公務員のおっさんです。いわゆる官僚でもなければスーパー公務員でもなく、はたまた特定分野の専門家でもありませんので、このブログを通しての主張はただのおっさんのつぶやきとして読んでいただければと思っております。

さて、では本題です。

先日、内閣改造が終了しまして、それに伴っていわゆる「統一教会」と「自民党議員」のつながりが取りざたされました。毎日のようにニュースや新聞で取り上げられるので、私の周りでも「あの人もつながりあったんだってよ!」「へえ!」なんて話を聞くことが多々あります。い・か・に・も・良くないことだと連日騒がれてますよね。

しかし、統一教会自民党のつながりが悪いことだと騒がれていることって、何が根拠となって言われてるのか、わかりますか?

きちんと理解して声をあげている方もいらっしゃると思いますが、一般的には、パッと思いつくところで「宗教団体だから政教分離の関係で」とか、「山上容疑者の家族を追い込んだ悪い団体だと明らかになったから」とかって感じでしょうかね。

すみません、私も横断的にメディアを見てるわけではないので、はっきりと言い切れませんが、きちんとした「これに反することだからこの関係性は悪なんです」というロジックが示されているのを見た記憶がないんですよ。こうなるともう、各種メディアが「なんか悪いらしいところと付き合ってるらしいぞ、アイツ、悪いと思うよな、なァ、そうだろう?」という雰囲気で押してる感がすごいんですよ。

こういう雰囲気だけで「そうなのかもなァ」→「そうなんだよ!」になってしまうことって、すごく怖いことだと思いませんか?デマゴーグとまでは言いませんが、ちょっと前提条件を端折り、ぼやかして報道しすぎじゃないのかなあ、と思うんです。

…ああ、なんかすごい勢いで語弊を生んでる気がする…。もうちょっとおつきあいください。

政教分離だからだめ、という観点については、宗教と政治が近づくことは違憲でもなんでもないと思っています。政教分離は、宗教側に統治権などの国家権力を振るわせないことや、国が特定宗教を国教として国民に思想等を強要しないように、政治の中立性を保つことが目的ですので、今回は政教分離の考え方には反しないと私は理解しています。ある宗教の信者とか聖職者が政治家になることって、今も普通にありますよね。確か、この部分については従前に国会でも憲法解釈の確認がとられていたはずです。

もう一つ、山上容疑者の家族を追い込んだ悪い団体だと明らかになったから、というのはもう結果論でしかありません。アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちていたことが判明したからといって、ジェダイオーダーの中で彼と関係の深かったオビ・ワン・ケノービやヨーダが非難されないというように。

でもまあ、この部分について、以前からあの教団は霊感商法だとか、いわゆる高額のお布施をさせていたとか、実は確実に悪影響を社会に与えていたのかもね、という部分では頷けますよね。…教団側は否定していますが。根拠になっているのは実はこの部分なんでしょうね。反社会的な組織らしいのに政治家がズブズブでいいのか!っていう道義的責任に対してということで…。あってます?そんな感じですよね?

でも、その反社会的な活動を教団が本当にしていたかという事実と、その反社活動を各政治家がきちんと認知した上で関わっていたかどうかっていう部分こそが本当の焦点なんだと思います。現時点では教団側は反社会的活動は否定していますし、議員側も知っていた、といってもそれこそ噂話レベルで、「実はそういう噂は小耳に挟んだことあるんだよね」程度かもしれませんし。

…「道義的責任」でいえば、オビ・ワンとヨーダなんかはアナキンの育成者・指導者でもあったんですから、もっとそしりを免れないと思うんですが。…これはどうでもいいですかね、すみません。

で、結局何をいいたいかといいますと、なんとなくそうなんだろうで突き進むことの怖さです。自治体職員をやっていると、そういったフワフワした話をもとに騒がれる方も多いです。特に、今般の新型コロナウイルスの感染拡大に伴っては、「まちの中のあそこで出た」、「どこそこの誰々が外国から帰って…」とか、すごいいろんなところで「そうなのかもなァ」→「そうなんだよ!」が繰り広げられました。

で、大抵「お前たちはこんな大変な状況になんで対応しないんだ!」とか言われてしまうわけです。でも、噂話ですし、公立病院や保健所に確認しても「その地域で発生した事実はないです(本当に)」って言われますし、そもそも対応のしようがないんですよ。

以前の東日本大震災の時もそうでした。原発から大量の放射性物質が拡散され…。毎日のように電話で「おい!今日は何シーベルトだ!大丈夫なのか?外に出られるのか!?子どもでも死んだらどうすんだ!」なんて感じで。ところが今はなーんも気にもしてませんよね。実は情報を精査してみれば、ベクレル単位で言えば山菜やキノコ系なんか食べると危ないといわれている地域は国内にまだ残っていたりもするんですけどね…。

で、それもこれも、情報の受け取り方ひとつによるんだよな、と思います。でも、しょうがないかもしれないですね。生活するにあたっての情報源はそういったメディアくらいしかありませんから。

それでも、です。ひろゆきではありませんが、ウソをウソと見抜くことや、本当にそうなのか?と情報を正しく受け取ることは非常に大事なことだと思うのです。特に、我々自治体職員なんかは本当にそうあるべきだと思います。そういうものを精査し、見抜く力、それが若干のコモンセンスというものであるのだと、私は考えています。

前のエントリーで、公務員の仕事の根底は「公平」だ、と書きました。「そうなのかもなァ」で基準を設定してしまったら、それこそ公平性が担保できない状況に陥ってしまいます。これは私自身も、十分気を付けていますし、これからも十分自分自身のコモンセンスに「本当にこれでいいのか」と、問いかけ続けながら精進したいと考えています。

(つづきます。)

役所とか、役場で働く公務員という人たちとそのお仕事

さて、最初のエントリーです。

何にしようかと悩みましたが、まずはやはり、地方公務員のイメージとお仕事、ということで。

では皆さん、地方公務員、特に身近な役所や役場の職員に対して、どんなイメージをお持ちでしょうか。もし知り合いが自分のまちの役所に居る方は、例えば隣町の公務員なんかをイメージしてみてください。

どうですか…?

世に言う公務員バッシングで語られるイメージが浮かんでくる方が大半ではないでしょうか。

歯に衣着せぬ言い方をすれば、「融通が利かない」「民間じゃ通用しない」「無能」という感じ?

……自分で書いていて嫌になりますが、こういうイメージを持つ方は本当に多いのではないかなあと思います。もちろん、そうではない方もいらっしゃると思いますが(ありがとうございます)、特に、窓口なんかで何かトラブルがあった際にはこういった言葉を投げかけられる率が高いようにも感じます。つい先週も見かけましたし。

でも、普通に考えれば、役所とか役場の採用試験にだけ、無能な連中が集まって、その中からまた無能なヤツを合格させて…なんてことはあり得ないと思いますよね?

じゃあなんだ、職場環境が人間を無能にするのか!というと、無能か無能でないかは別として、実際、仕事の仕組みがそう感じさせてしまう要因の一つにはなっているのかなあと私は思っています。

役所・役場の仕事は、全ての人に対してまったくの平ら(公平)でなければなりません。その公平の前提として、「条例」とか「規則」とか「要項」とか…あ、ほら、こういう話になるとよくわからなくなりますよね。要するに、言葉で書いた「ルール」「基準」みたいなものがあるんです。

ちょっと例をあげましょう。補助金の対象者を決めるルールです。市町村が、東京に立地する会社に遠距離で通勤する方に対して補助を出す基準として見てください。

・補助対象は、隣町との境界にある○○駅から、東京方面に50km以上通勤する方が対象

つまり、まち外れの○○駅から50km以上離れた会社に通う人だけが補助金をもらえます。すると、こういう声が上がります。

「どうせなら自宅の最寄り駅から50km以上にしろ。長距離を通うんだから。」

ええ、わかります。○○駅からでは50kmに満たないのですが、最寄り駅にすれば会社まで50km以上になるから基準を変えてほしいんですよね。

でも、とある都内企業Aに勤める方が市内に数人いて、自宅の最寄り駅がB駅の人と、C駅の人がおり、その2駅が50kmを満たす、満たさないのギリギリの境界線であった場合はどうでしょう。同じ会社に勤めるのに、B駅から通う方は補助金が貰えて、C駅から通う方は補助金が貰えないのです。同じまちから同じ会社に通うのに。不公平ですよねえ。

で、不公平だ!となると、今後はC駅から通う人の中から「自宅からの距離にしろ。うちはC駅が最寄りだが、自宅から駅まで10kmも離れてるんだ!」なんて言い出す人も出てくることになるかもしれません。…やはり基準を変えるのは難しいと思います。

…そして、もうこの時点でうすうす「公務員て無能だ!融通が利かない!アホゥ!」と思われ始めているわけですよね。

まち外れの○○駅をスタートとしたのは、対象市町村民が同じスタートラインに立つ基準にするためです。あとは、お勤めの会社の立地によるものですので、それは個別的な事情で対象となるかならないかが決まります。いやいや、自宅からとか、最寄り駅からとかも同じ個別の事情じゃないか、とおっしゃるかもしれません。でもそれではスタートラインに個別事情を置き、勤め先というゴールにも個別事情をそれぞれ置く、ということになります。こうなると、また別の方が不公平感を持って、「あいつは自宅から駅までのルートで普段使わない順路で距離計算している、おかしいじゃないか」とか、いらぬ争いを生むことにつながるかもしれないんですね。譲歩すればするほど、問題は深くなってしまうんです。だからこそ、スタートラインの基準は変えられないと。

こうしたことから、「この基準なので」という説明を聞くと、「融通が利かない」→「民間じゃ通用しない」→「無能だ」という流れになってしまうのかなあ、と思っています。いや、別に民間がなんでも融通を利かせるとは私も思ってはいないんですけどね。これはいわゆる捨て台詞のようなものではないでしょうか。でも、こうした仕事の積み上げこそが、「公平公正」を謳う役所・役場というわけなのです。

ただ、どうしても職員の中には表現の仕方として、「決まりですから」の説明しかできない者もいたりと…。あ、う~ん、実はこれが公務員バッシングの本質なのかも知れないですね。この資質という部分についてはまたあらためて取り上げたいと思っています。

でも、公務員試験は民間同様に門戸を広く開けていますし、そういう意味では、資質にかかる従業員・職員の問題は、民間企業も公務員も一定数あるんじゃないかな、とも思っています。

さてさて、公務員像についてはおおかた上のようなイメージであり、なんでそんなに融通が利かないんだということには上記理由などがあるんです、という感じなのですが、実は最近、生粋の公務員という人達は少なくなりつつあります。いわゆる、中途採用職員が増えつつあるのです。転職組ですね。私の職場も、民間企業を経験後、家の跡取りとして帰ってきたり、父が生まれた場所だから、とそれまでの大企業勤めをお辞めになり、縁もゆかりもなかった方が入庁したり、お嫁に来るのを機に銀行から転職しましたとか…。

こうした民間で活躍されていた優秀な人たちが増えてくると、やはり業務に対する進め方や考え方などは、生粋の職員とくらべ、良くも悪くも「違うなあ」と感じることが多々あります。

かくいう私も実は民間経験者なので、公務員の仕事ってやりにくいナア…と思ったことが多々あります…。

が、その一方で、仕事に対するモチベーションといった部分に関しては、地元で生まれ、地元で育った生粋の職員の方が高かったり、ということも往々にしてあるんですよね。

生粋の公務員でモチベーション高い職員って、有り体に言えば泥臭くて一生懸命なんです。これも資質の問題にかかわってくるんですが。

この両者の良いとこ取りができれば、もっともっといい仕事ができるんだけどなあ、と感じます。これらをクリアするためには、職員教育とか、研修とかを丁寧にやっていくのが近道なのですが、人口数千~数万程度のまちだと職員数も少なく、職場が歯抜けになってしまって、非常にそれも難しいわけです。でもそれではイカンと、最近では、若手職員が自主的に勉強会みたいなのを開いたりするのを見かけるようになりました。これが実を結べばいいなあ、と思っています。ガンバレ!若手職員!

と、いうわけで、以上で内情説明といいましょうか、こんな具合で、自治体って成り立ってんだよ、というお話しになります。

…なんだか乱文で大変申し訳ございませんが、なんせブログなんてはじめてなもんで…。私も今後精進していきたいと思います。

では。

はじめまして、最初に。

月並みに「初めまして」ではじめちゃうのもどうかなぁ、とも思ったんですが、とりあえず、です。

私は、とある地方のホントに小さなまちで、公務員として働く者です。

世の中には、官僚の方や、地方自治体でもスーパー公務員なんて呼ばれる方々がブログを書いたりしていますが、私は本当に肩書きの無い、なんでもない普通の地方公務員です。いわゆる、皆さんの生活に一番近い場所で働いている公務員といって、間違いではないと思います。

で、その一方、私は勤める場所と住む場所が同じまちですので、普通の一市民でもあります。

なので、自治体で働きながらも、そのまちに暮らす一人の人間として、「う~ん、なんだかなぁ」、「ホントにそうなのかねぇ」、なんて思う政策や制度や対応なんかもあったりするわけです。

これは、自治体の政策などに限ったことでなく、仕事上否応なしに触れる国政や都道府県政の考え方でも、そんな風に感じることが多々あります。

そんな個人の思いなんかをこのブログに書き留め、みなさんと意見交換や、考え方などをお伺いすることで、世の中の意見の大勢を感じたい、ということがこのブログを始めたきっかけとなっています。

先ほど申しましたように、私はいわゆるエリート公務員ではありません。ですので、みなさんに「そうだったのか!」「へぇ~…」なんて話ができる自信はないものの、みなさんの身近な役場・役所に勤める人間の人となりとして、「ああ、普段こんなことを考えながら仕事してんだな~…」なんてことを少しでも感じていただければ、幸いです。

それでは、よろしくお願いします!