皆様の僕(しもべ)。

公共のざれごと

コモンセンスというものの重要性について(その1)

ちょっと時事ネタといいますか、気になったもので。今回はちょっと長くなりそうなので、エントリーを二つにわけてアップしたいと思います。

また、まず最初に申し上げておきたいのですが、一番最初のエントリーにも書いた通り、私はただの人口数万人のまちで働く地方公務員のおっさんです。いわゆる官僚でもなければスーパー公務員でもなく、はたまた特定分野の専門家でもありませんので、このブログを通しての主張はただのおっさんのつぶやきとして読んでいただければと思っております。

さて、では本題です。

先日、内閣改造が終了しまして、それに伴っていわゆる「統一教会」と「自民党議員」のつながりが取りざたされました。毎日のようにニュースや新聞で取り上げられるので、私の周りでも「あの人もつながりあったんだってよ!」「へえ!」なんて話を聞くことが多々あります。い・か・に・も・良くないことだと連日騒がれてますよね。

しかし、統一教会自民党のつながりが悪いことだと騒がれていることって、何が根拠となって言われてるのか、わかりますか?

きちんと理解して声をあげている方もいらっしゃると思いますが、一般的には、パッと思いつくところで「宗教団体だから政教分離の関係で」とか、「山上容疑者の家族を追い込んだ悪い団体だと明らかになったから」とかって感じでしょうかね。

すみません、私も横断的にメディアを見てるわけではないので、はっきりと言い切れませんが、きちんとした「これに反することだからこの関係性は悪なんです」というロジックが示されているのを見た記憶がないんですよ。こうなるともう、各種メディアが「なんか悪いらしいところと付き合ってるらしいぞ、アイツ、悪いと思うよな、なァ、そうだろう?」という雰囲気で押してる感がすごいんですよ。

こういう雰囲気だけで「そうなのかもなァ」→「そうなんだよ!」になってしまうことって、すごく怖いことだと思いませんか?デマゴーグとまでは言いませんが、ちょっと前提条件を端折り、ぼやかして報道しすぎじゃないのかなあ、と思うんです。

…ああ、なんかすごい勢いで語弊を生んでる気がする…。もうちょっとおつきあいください。

政教分離だからだめ、という観点については、宗教と政治が近づくことは違憲でもなんでもないと思っています。政教分離は、宗教側に統治権などの国家権力を振るわせないことや、国が特定宗教を国教として国民に思想等を強要しないように、政治の中立性を保つことが目的ですので、今回は政教分離の考え方には反しないと私は理解しています。ある宗教の信者とか聖職者が政治家になることって、今も普通にありますよね。確か、この部分については従前に国会でも憲法解釈の確認がとられていたはずです。

もう一つ、山上容疑者の家族を追い込んだ悪い団体だと明らかになったから、というのはもう結果論でしかありません。アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちていたことが判明したからといって、ジェダイオーダーの中で彼と関係の深かったオビ・ワン・ケノービやヨーダが非難されないというように。

でもまあ、この部分について、以前からあの教団は霊感商法だとか、いわゆる高額のお布施をさせていたとか、実は確実に悪影響を社会に与えていたのかもね、という部分では頷けますよね。…教団側は否定していますが。根拠になっているのは実はこの部分なんでしょうね。反社会的な組織らしいのに政治家がズブズブでいいのか!っていう道義的責任に対してということで…。あってます?そんな感じですよね?

でも、その反社会的な活動を教団が本当にしていたかという事実と、その反社活動を各政治家がきちんと認知した上で関わっていたかどうかっていう部分こそが本当の焦点なんだと思います。現時点では教団側は反社会的活動は否定していますし、議員側も知っていた、といってもそれこそ噂話レベルで、「実はそういう噂は小耳に挟んだことあるんだよね」程度かもしれませんし。

…「道義的責任」でいえば、オビ・ワンとヨーダなんかはアナキンの育成者・指導者でもあったんですから、もっとそしりを免れないと思うんですが。…これはどうでもいいですかね、すみません。

で、結局何をいいたいかといいますと、なんとなくそうなんだろうで突き進むことの怖さです。自治体職員をやっていると、そういったフワフワした話をもとに騒がれる方も多いです。特に、今般の新型コロナウイルスの感染拡大に伴っては、「まちの中のあそこで出た」、「どこそこの誰々が外国から帰って…」とか、すごいいろんなところで「そうなのかもなァ」→「そうなんだよ!」が繰り広げられました。

で、大抵「お前たちはこんな大変な状況になんで対応しないんだ!」とか言われてしまうわけです。でも、噂話ですし、公立病院や保健所に確認しても「その地域で発生した事実はないです(本当に)」って言われますし、そもそも対応のしようがないんですよ。

以前の東日本大震災の時もそうでした。原発から大量の放射性物質が拡散され…。毎日のように電話で「おい!今日は何シーベルトだ!大丈夫なのか?外に出られるのか!?子どもでも死んだらどうすんだ!」なんて感じで。ところが今はなーんも気にもしてませんよね。実は情報を精査してみれば、ベクレル単位で言えば山菜やキノコ系なんか食べると危ないといわれている地域は国内にまだ残っていたりもするんですけどね…。

で、それもこれも、情報の受け取り方ひとつによるんだよな、と思います。でも、しょうがないかもしれないですね。生活するにあたっての情報源はそういったメディアくらいしかありませんから。

それでも、です。ひろゆきではありませんが、ウソをウソと見抜くことや、本当にそうなのか?と情報を正しく受け取ることは非常に大事なことだと思うのです。特に、我々自治体職員なんかは本当にそうあるべきだと思います。そういうものを精査し、見抜く力、それが若干のコモンセンスというものであるのだと、私は考えています。

前のエントリーで、公務員の仕事の根底は「公平」だ、と書きました。「そうなのかもなァ」で基準を設定してしまったら、それこそ公平性が担保できない状況に陥ってしまいます。これは私自身も、十分気を付けていますし、これからも十分自分自身のコモンセンスに「本当にこれでいいのか」と、問いかけ続けながら精進したいと考えています。

(つづきます。)