皆様の僕(しもべ)。

公共のざれごと

コモンセンスというものの重要性について(その2)

では、続きです。

今回の教団と議員の癒着って、結局双方にどんなメリットがあったのか、という部分についてです。

報道では、教団側には大物政治家とのつながりによる、「権威」の報酬、議員側には信者群による「票田」の報酬があったとされています。要するに、議員側とすれば大きなメリットとして、近づくことで一度にたくさんの票が稼げるから、という理由があったようなんですよね。

それで、です。

先日の参院選投票率をみると、52.05%、直近の衆院選でも投票率55.93%という結果なんだそうです。投票権を持つ有権者の約半分しか投票してないんですよね。

で、今般、もしも、ですよ。「あの議員どもは非常にけしからん!」と憤っている方のうち、投票に行っていない方が徒党を組んで別の候補や政党にきちんと投票したら、結果をひっくり返すことができるのかも知れないんだけどなあ、とか思うんですよ。

議員先生たちは、票がほしいからあのような行動に出るのですよ。それもこれも、政治離れが進むことで政策論議に興味を持つ方も少なくなり、結果、い・く・ら一生懸命政策を訴えても、票田を形成することができない今の状況が、今般の問題を生み出す一つの要因になっているんではないかなあ…、と思っているんですよ。

よくテレビでも「誰を選んでも一緒だから(投票しない、選ばない)。」とか言ってる方がいますけど、その結果なんです。事前にちょいと行動することだけで結果はまったくの一緒ではなかったかも知れません。

例として選挙のことを取り上げましたが、何も選挙だけに限ったことではないと思います。何事も、結果だけを外から見た評論家になるのでなく、何事へも「積極的に関わっていくこと」の重要性にみんなが気づくべきだと考えます。

地方自治(住民自治)もそうなんです。行政が何かを行うときには、ほぼ一般公募という形で行政委員とか、プロジェクトメンバーとかを募ります。今このブログの閲覧数は非常に少ないですが、読んだ方は是非そういった機会を一度でいいから活用してみてください。自分が関わった結果、もし成果が上がらなかったとしても、それはそれで納得できるはずですし、なぜ成果が上がらなかったのかもよーく理解できるようになるはずです。また一方で、逆に成果が上がれば自分自身がその一部を担ったという充実感が得られるはずです。

なんだか訴求感満載のエントリーになってしまい、暑苦しく感じた方もいらっしゃるかも知れません。なんだか申し訳ございませんでした。しかしながら、私も職場において、同僚たちと「無関心」であることの「無責任さ」についてことあるごとに話し合ったりしています。地方自治(住民自治)って、こうした若干の「関心」と若干の「責任」が生み出す、それこそ若干の「コモンセンス」があれば、十分事足りるものなのだと思うのです。自分の信じるコモンセンスを備えれば、自然と情報を疑う(精査)することもできるでしょうし、情報に振り回されることは無くなるものと思います。何よりも、受け入れがたい結果をも事前に変えてしまう可能性を十分に含んでいるんだと思っています。

是非皆さんにも、関心を持って自分の住むまちの「足元の情報」の精査と「活用」を試みていただければ、私も一公務員として大変嬉しく思います。

今回もなんだか乱文気味になりました。すみません。もっともっと、精進したいと思いますので、お許しください。

では。